山と川と田舎と
この秋は気温が高い日が多かったのですが、今朝はようやく霜がビッシリと降りました。
伊達市の公式な最低気温(おそらく梁川かと思います)は−2℃でしたが、辺境のこのあたりだともっと下がったでしょう。
いよいよ冬がやってきたか…と文字通り震えております。
冒頭の写真は暖かかった秋の朝の景色です。
こんな日ばっかりだといいのにね…
この秋は(「も」というべきか)自然災害が相次ぎました。
福島県内でも大きな被害が出ました。
同じ伊達市では梁川町で床上浸水した地域があり、ボランティアの皆さんによる復旧作業も続いているようです。
つきだて花工房がある旧月舘町には、お隣の川俣町から流れる広瀬川という川(仙台の広瀬川とは別です)が流れています。
田畑を潤す重要な水源であると同時に、今も一部で魚影が見られ、数十年前まではうなぎや川蟹が捕れるような豊かな川だったようです。
周囲の山々からの小さな川の水が集まるので下流に行くほど水量が増していきます。
水の力はとても恐ろしく、川岸の木々や大岩、時には家屋をも流し去り、それが橋桁に引っかかるなどしてあちこちで氾濫しました。
溢れた川水に含まれた大量の土砂が周囲の田畑に堆積しました。
ほとんどの田は収穫を終えていましたが、土砂が堆積したり畔が削られたり、また水耕施設(水路など)が破壊されたりと、被害は相当なものです。
今現在の被害も相当ですが、畔や水路などさまざまなインフラを復旧するには相当な時間もかかります。
来年の作付けに間に合うかどうか、見通しはとても厳しいように思えます。
「直してもしようがない」
そんなことを考える人もいるかもしれません。
土砂崩れも各地でおきました。
地質の関係もあるのか、急傾斜地が多い土地柄。
幸い、命を落とした方はいなかったようですが、土地家屋が被害を受けた方もいるようです。
自分の土地で起きたことは原則として自己責任。
流入にしろ流出にしろ、大量の土砂の始末は人力では容易ではありません。
山、川、そして自然は多くの恵みをもたらしてくれる一方で、時に途方もなく大きな、多くのものを奪います。
田舎に暮らしていると、それは両方とも極端に現れます。
昔の人々は自然を神として崇めてきました。
恵みも大災害も神の手の内。
人間ではどうにもしようのない力の前に、祈ることしかできなかったでしょう。
文明とともに、人間はそれまでにない力を手にしてきました。
土木技術もそのひとつ。
これがなければ今のような災害の少ない社会どころか、生活基盤さえ築くことはできなかったはずです。
それがよかったのか悪かったのか。
今の時点では私は答えを持ち得ません。
ただ、善悪を超えて、必然であったのは確かでしょう。
「田舎」と呼ばれる、比較的川の上流にある地域が荒廃すれば中・下流域への影響は避けられないように思います。
「コンパクトシティ構想」はコストパフォーマンスの面、利便性の面から理にかなったことかもしれませんが、自然の摂理とどのように相互影響するのか。
できれば田舎の環境が保たれるような状況が維持できるといいのですが。
上の写真は台風被害の少し前に撮影したものです。
早朝の薄明かりの中、杭掛けされた稲が乾燥・脱穀を待っています。
その稲は台風が去った後、未だに無残な姿をさらしています。
この風景が失われないよう、一日でも早く復旧するよう祈っています。